岩手県

  • 2016.9.25

概要

岩手県は、東北地方の北部に位置する県で、県庁所在地は盛岡市です。
県の北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と接し、面積は15,275.01km2で、全国で二番目に広い面積です。
ただ、可住地面積割合は24.3%で全国40位となっています。
県内は山地や丘陵地が多く、人口の8割近くは県の内陸部にあたる北上盆地に集中して居住しています。
人口は約132万人を有します。
元々盛岡市が「岩手郡」と称されていたことが、県名の由来と言われています。

県のシンボルは花がキリ、木はナンブアカマツ、鳥はキジ、魚はナンブサケです。
マスコットキャラクターは「そばっち」です。
そばっちは、ご当地食として知られる「わんこそば」をモチーフにし、国内漆生産量日本一を誇る漆器にはいったお蕎麦のキャラクターです。
わんこそばに添える薬味や食材は、地域によって異なることから、県内を4エリアに分け、それぞれの代表食材を盛りつけた「こくっち」「とふっち」「おもっち」「うにっち」もあり、それぞれが県のPR活動に努めています。
岩手県の食料自給率は106%で、全国で数少ない自給率100%を超える県です。
昔から穀物、畜産が盛んに行われていて、農業出荷額は2千5百億円を超えています。
また、林業も参加で、バイオマス事業などの自然エネルギーに力を入れていて、生産高は全国5位です。

県内の三陸海岸は、黒潮による豊かな漁業として知られ、海藻類も豊富です。
わかめとあわびの養殖は全国1位を誇っています。

世界遺産に指定されている中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山、明治時代の産業革命遺産である橋野高炉跡、日本三大鍾乳洞に数えられる龍泉洞などの観光名所があります。
他にもスキーやゴルフなど、様々なレジャーが楽しめる安比高原、花巻温泉をはじめとする多くの温泉は、多くの観光客が訪れています。

歴史

成り立ち

岩手県は、古く縄文時代より人々の生活が営なまれ、豊かな自然の中で狩猟・漁労生活が実現されていた土地だと考えられています。
北上川の流域は、かつては蝦夷(えぞ)と呼ばれていた人たちの生活の中心地であったと考えられ、「日高見国(ひたかみのくに)」と呼ばれていたといわれています。日高見国は、古代の日本で蝦夷の地を美化して用いられた言葉で、それだけ豊かな生活が営まれていたと考えられています。
一説によると「日高見国」が「日本」という国の名前の元になったという話もあります。

中世の藩制時代には、北半は南部氏の盛岡藩領、南半は伊達氏の仙台藩領でした。
明治初頭に盛岡藩が廃藩を申し出、盛岡県が誕生したのち、行政区分がなんどか変更され、1876年に現在の岩手県が誕生しました。

歴史的人物ゆかりの地

『石川啄木記念館』盛岡市

日本を代表する歌人の一人、石川啄木の故郷。
1970年に開館した記念館は、啄木が理想とした家をイメージした西洋風に建てられた建築物です。
石川啄木は、南岩手郡日戸村、現在の盛岡市出身で、本名は石川一(はじめ)です。
明治35年に上京し、創作活動を行いましたが、病気と貧しさ故に故郷に戻ることなく生涯を閉じました。

『宮沢賢治記念館』花巻市

世代をこえて今もなお愛されている作家の一人、宮沢賢治記念館は、スクリーン映像や資料で、宮沢賢治の描いた理想郷「イーハトーブ」を体感することが出来ます。
代表作には、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などがあります。

『原 敬記念館』盛岡市

原 敬(1856年~1921年)は、1856年に盛岡城外の岩手郡本宮村(現在の盛岡市本宮)生まれの政治家です。
日本の政党政治の基礎を作った大正時代の総理大臣で、伊藤博文とともに立憲政友会を設立しました。
生家に隣接して建設された記念館では、政界の資料や日記、遺品などが展示されています。

史跡/碑

『志波城跡(しわじょうあと)』盛岡市

約1200年前の平安時代に

今から約1200年前の平安時代に,桓武天皇(かんむてんのう)の命により、征夷大将軍であった坂上田村麻呂((さかのうえのたむらまろ)が造営した「志波城」を復元した城跡です。
復元には発掘調査をもとに行われ、現在は歴史公園として整備されています。

『大洞貝塚(おおほらかいづか)』大船渡市

国内において最大級の縄文時代の貝塚です。
縄文時代晩期の土器型式「大洞式」が設定された遺跡で、大洞式は東北か北海道南部で使われていた土器形式だと考えられています。

『柳之御所・平泉遺跡群(やなぎのごしょ・ひらいずみいせきぐん)』西磐井郡

平安時代末期に奥羽地方に権勢を誇った奥州藤原氏三代の根拠地です。
藤原氏の政庁「平泉館ひらいずみのたち」とされる柳之御所遺跡は、当時は中心地だったと考えられています。

『毛越寺庭園(もうつうじていえん)』平泉町

毛越寺は慈覚大師円仁が開山したお寺です。
その後、平安時代末期に奥羽地方に権勢を誇った奥州藤原氏の時代に造営され、一時は堂塔40僧坊500を数えたと言われています。
奥州藤原氏滅亡後、建物が消失しましたが、現在は浄土庭園と平安時代の伽藍遺構が復元、保存されています。

歴史的建造物

『中尊寺金色堂』 平泉町

1124年に奥羽地方に権勢を誇った奥州藤原氏初代清衡公によって上棟された建造物です。
当時の工芸技術が集約された御堂です。

毛越寺、無量光院跡、観自在王院跡、金鶏山を中心とした周辺一帯が東北地方ではじめての世界遺産に登録されています。

『胆沢城(いさわじょう)』奥州市

802年に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が造営した城で、古代陸奥国の北半部を統治する機関であり施設であったと言われています。

『志波城(しわじょう)』盛岡市

803年にに坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が造営した城で、陸奥国最北端の古代城柵です。
胆沢城の北辺をエミシから守るための城だったと考えられています。

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