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佐賀県

概要

佐賀県は九州地方の北西部に位置し、玄界灘、有明海に面する県で、県庁所在地は佐賀市です。
面積は2,440.68km2、人口約83万人を有し、面積、人口ともに全国で42番目、九州の中では最下位です。

かつて佐賀藩と唐津藩に分かれていた歴史があり、現在もその経緯から唐津市中心の北西部、佐賀市中心の南東部に分けられることが多いです。
また、更に細かく三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分に分けることもあります。

県の形状は逆三角形に近く、玄界灘、有明海という異なる海に接しています。有明海から筑後川沿いには佐賀平野が広がっていて、限界灘から佐賀平野までは丘陵地帯が広がります。
北東部には1,000m級の山地が連なり、丘陵地帯を挟む形になっています。
佐賀平野の面積は、県の30%にあたり、人口の約半数が暮らしています。

近年、道路網、鉄道網の分岐店となっているため、福岡のベットタウンとして注目を集めています。
住宅開発が進み、九州各県の中では例外的に人口増加傾向が続いています。

県のシンボルは、花と木はクス、鳥はカササギです。
県公認のマスコットキャラクターは「壷侍(つぼざむらい)」です。
壺侍は、大昔の武士の男の子で、遊んでいるうちに壺に入って現代にタイムスリップしてしまったという設定のキャラクターです。
また、名前の由来には「あなたのツボにはまりたい」という意味が込められていて、県の観光PRキャラクターとして活動しています。

産業は、平野部では農業、畜産、沿岸部では漁業が盛んです。
県内の耕地は、全面積の4分の1に相当し、この面積の割合は国内でもかなり高く、農業が盛んな県であることがわかります。
お米をはじめ、果樹の栽培が盛んです。
また、畜産では伊万里を中心に生産される「佐賀牛」が全国的に知られています。
漁業は、有明海では海苔、貝類、限界灘ではアジ、サバ、タコ、イカなどが水揚げされます。
特に海苔の収穫量は全国一位を誇り、「佐賀海苔有明海一番」というブランドで最高級品の海苔として販売れています。

他には、古くから有田焼、唐津焼、伊万里焼など、陶磁器の産業が盛んで、多くのブランドを有しています。

観光業は、日本三大美肌湯の嬉野温泉、武雄温泉などの温泉地の他、唐津城や呼子などの観光スポットが人気です。

歴史

成り立ち

県域は令制国時代の「肥前国」の東部に相当します。
肥後国の残りは現在の長崎県にあたります。
県内からは旧石器時代の遺跡が出土していて、人々の営みが古くから行われていたことがわかっています。

665年には福岡県筑紫野市との境に基肄城が築かれ、防人を招集して大宰府防衛線の一角を担っていました。
鎌倉時代から室町時代には、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられています。
中でも大きな規模をもっていたのが九州千葉氏、高木氏、綾部氏、松浦氏、少弐氏、波多氏、後藤氏と考えられています。
戦国時代には龍造寺(りゅうぞうじ)氏が勢力を伸ばし、領地を広げますが、戦国末期になると島津氏の勢力が強まり、龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)の死後、その勢いを狭めていきます。
しかし、1587年、豊臣秀吉政権の九州国分では、県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入りました。
1591年には、名護屋城が築かれ、役の拠点となりました。
龍造寺領内では鍋島直茂(なべしまなおしげ)が国政の代行を行い勢力を増していきます。
1607年には龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承して佐賀藩主となりました。
江戸時代に入ると、県域には佐賀藩、佐賀藩の支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩、唐津藩が置かれていた他、対馬府中藩の田代領、浜崎領がありました。
鍋島直茂は伊万里焼や茶・石炭といった特産品の保護育成に努め、その伝統は今に受け継がれています。
唐津藩は領主がめまぐるしく変わり、時には戦が起こっていました。
佐賀藩は、後に明治維新に尽力する人物を多く輩出しています。
大隈重信(おおすみしげのぶ)、副島種臣(そえじまたねおみ)、大木喬任(おおきたかとう)、江藤新平(えとうしんぺい)・佐野常民(さのつねたみ)・島義勇(しまよしたけ)がその人物です。
1871年の廃藩置県では佐賀県、蓮池県、小城県、鹿島県、唐津県、厳原県が成立します。
その後編入、合併などを繰り返し1883年に現在の県域の佐賀県が成立しました。

歴史的人物ゆかりの地

『弘道館(こうどうかん)』佐賀市

1781年、佐賀藩の8代藩主であった鍋島治茂(なべしまはるしげ)が、儒学者である古賀精里(こがせいり)に命じて設立した藩の学校です。
現在は県立佐賀西高等学校になっています。

『基肄城(きいじょう)』三養基郡

665年、天智天皇によって大宰府防衛のために建てられたお城です。
日本最古の古代朝鮮式山城です。城跡は国の史跡に指定されています。
建築は亡命百済貴族である憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくふ)が行ったと言われています。
現在は土塁、城門、水門、建物の礎石などの遺構が残っています。

史跡/碑

『腰岳遺跡群(こしだけいせき群)』伊万里市、有田町

黒曜石の産地としても知られる腰岳からは、山の広い範囲から旧石器時代のナイフ型石器、剥片が出土しています。
出土した遺跡により、腰岳が古来、石器を生産していた場所だと推測されています。

『東名遺跡(ひがしみょういせき)』佐賀市

縄文時代の貝塚が発見され、遺跡には貝殻の土器や石器、動物の骨、骨格、木で編んだかご、木の実、木製品などが出土されています。
中でも縄文時代早期の貝津かは発見例が少なく、日本最大級の貝塚です。

『宇木汲田遺跡(うきくんでんいせき)』唐津市

宇木川左岸の台地に立地する遺跡で、細形銅剣・矛・戈、多紐細文鏡、青銅製腕輪、碧玉製管玉などの朝鮮製青銅器文化の影響を受けた遺跡が出土しています。
朝鮮製青銅器文化の影響を受けた遺跡の発掘は、国内初です。

歴史的建造物

『肥前国庁跡(ひぜんこくちょうあと)』佐賀市

奈良時代の律令制下における地方行政機関の中心施設跡です。
須恵器、土師器、多量の瓦などが出土しています。

『多久聖廟(たくせいびょう)』多久市

1708年に建立された孔子廟。
佐賀藩士、多久茂文(たくしげぶみ)が教員振興を目的として建立を発がんしたと言われています。
講堂に孔子像を安置し、1708年には椎原山の麓に拝殿が完成しました。

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