愛媛県

  • 2016.4.24

概要

愛媛県は四国地方の北西、北中部に位置する県で、県庁所在地は松山市です。
面積は5,676.11km2で、瀬戸内海に面しています。
瀬戸内海を挟んだ広島県とは、昔から経済・文化面で強い結びつきがあります。
広島県には多々羅大橋、岡村大橋で接続しています。
県北部の瀬戸内海の南側は、豊予海峡を経て太平洋につながっています。

県域は、「東予」「中予」「南予」に分けられることが多く、人口は1,381,939人を有しています。

県のシンボルは花はミカン、木は松、鳥はコマドリ、魚はマダイ、獣はニホンカワウソです。
県民の日は県政が発足した2月20日に設定しています。

県公認のキャラクターは「みきゃん」です。
愛媛特産のみかんをモチーフにしたキャラクターで、県のPR活動に努めています。

愛媛の経済は、日本全国の1%の規模を占めることから「1%経済」と呼ばれています。
産業は東予、中予、南予の地域ごとに異なり、東予は化学工業、非鉄金属、電機、製紙、造船などの製造業が盛んです。
中でも、今治市で製造されるタオルは「今治タオル」として全国的な知名度を誇ります。
中予は、県庁所在地の松山市があり、政治、経済の中心都市として機能するほか、臨海部には工場地帯も並んでいます。
南予は、農業、漁業が中心に行われています。

県内で収穫される、押麦、キウイフルーツ、いよかんは全国一位の生産量を誇ります。
また、みかんは2位、八朔、栗は三位です。

漁業では、真珠とハマチ、タイの養殖が盛んです。

観光資源も豊富で、年間約2千5百人の観光客が訪れています。
ミシュランガイドで3つ星を獲得した道後温泉をはじめ、同じく2つ星の松山城、1つ星を獲得した、しまなみ海道が人気のスポットです。

歴史

成り立ち

現在の県域は、令制国時代の「伊予国」に相応します。
県内には遺跡の発掘により、二万二千年以上前から人々の暮らしが営まれていたことがわかっています。
「古事記」には「伊予国は愛比売(えひめ)と謂ひ」との記述があり、この伊予国が国名になったと言われています。
古事記には他にも、聖徳太子や天皇が道後温泉で体を休めたことが記されています。
また、伊予の「よ」は「湯」が転じたもので「いい湯」が伊予になったという説が残っています。
古い時代から温泉地として栄えていたことがうかがえます。

古代、松山市の久米地域は「久米国造」の支配地域の中心地でした。
江戸時代には伊予国には八藩(松山藩、紀州支藩の西条藩、小松藩、今治藩、大洲藩、大洲支藩の新谷藩、宇和島藩、宇和島支藩の吉田藩、川之江藩)が存在していました。

 平安時代には、宇和海の日振島を根拠地として天慶の乱のが起こりました。
1180から1185年にかけて行われた治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)では、河野氏と源氏方が活躍し、室町時代には河野氏が伊予国の守護となります。
鎌倉時代に入ると、河野氏の一族が全国各地を渡り歩き、踊り念仏をすすめ、時宗(じしゅう)の開祖として知れわたります。
江戸時代には、伊予国は八藩(西条・小松・今治・松山・新谷・大洲・吉田・宇和島藩)に分けられます。
それぞれの藩で異なる文化が生まれ、今日の愛媛の文化につながっています。
1871年の廃藩置県では、8藩がそのまま県となり、幕府領は倉敷県に分属されます。
その後合併や改名を繰り返し、1888年に現在の県域の「愛媛県」が成立しました。

歴史的人物ゆかりの地

『松山城(まつやまじょう)』松山市

1602年、伊予松山藩の初代藩主である加藤 嘉明(かとうよしあき)が建築を開始したお城です。
黒船来航の翌年、1854年に親藩松平家により本壇の天守群が再建されています。
現在は城山公園として整備されていて、日本の歴史公園100選に選ばれています。

『宇和島城(うわじまじょう)』宇和島市

941年に橘遠保(たちばなのとおやす)によって築城され、その後城主になった藤堂高虎(とうどうたかとら)、伊達宗利(だてむねとし)によって改修されています。
江戸時代は伊達家10万石の居城であり、宇和島藩の藩庁でした。

『今治城(いまばりじょう)』今治市

1602年に藤堂高虎(とうどうたかとら)によって築城されたお城です。
堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるようになっていたと言われています。
1873年に廃城しました。

『子規記念博物館(しききねんはくぶつかん)』

俳人、正岡子規を記念して1981年開館した愛媛県松山市立の博物館です。
館内には松山の歴史や子規の時代、俳句などを展示しています。
湯築城史跡公園が隣接しています。

史跡/碑

『大洲城(おおずじょう)』大洲市

江戸時代初期に藤堂高虎(とうどうたかとら)によって大規模改修されたお城です。
伊予大洲藩の経済の中心地として栄えました。
また、明治から現在に至るまで、市民による城郭の保護活動が行われ、市民の寄付によって天守が復元されています。
台所櫓・南隅櫓などは江戸時代の建造のままです。

『湯築城(ゆづきじょう)』松山市

道後公園内にあるお城で、堀や土塁が現存しています。

歴史的建造物

『石手寺(いしてじ)』松山市

729年に聖武天皇の命によって開基されたと言われる古寺です。
四国八十八箇所霊場の第五十一番札所です。
ミシュランガイド日本編において1つ星に選定されています。

『太山寺(たいさんじ)』松山市

1305年に建立されたと伝えられているお寺で、桁行7間 (16.38m)、梁間9間 (20.91m)[2]、屋根は入母屋造本瓦葺きの建築物です。
木造建築としては県内最大の大きさを誇っています。

『大宝寺(たいほうじ)』松山市

701年建立のお寺で、江戸時代には松山藩主の祈願所であったお寺です。
1685年松平定直(まつだいらさだなお)によって本堂の修理が行われています。県内最古の木造建築です。

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