概要
高知県は四国の太平洋側に位置する県で、県庁所在地は高知市です。
面積は7,103.93km2あり、面積の89%が山地となっています。
地質的には四万十帯と呼ばれる堆積岩が多い地域で、昔から土砂災害の危険地帯として知られています。
西部には日本最後の清流といわれる四万十川が流れる他、水辺利用率全国一の仁淀川、北部から徳島県に流れる吉野川など、水量豊富な河川が多くあります。
そのため、治水が県の課題となっていて、その対策は江戸時代から実施されています。
山間部は開発されているところがほとんどなく、豊かな自然と大きな川が流れています。
高知県は、黒潮の流れに近いことから気温は温暖で過ごしやすいのですが、台風の襲来が多く、上陸数は全国的にも上位にあげられます。
人口は約73万人を有しています。
一人当たりの所得金額は、全国で最下位の県として知られています。
県のシンボルは、花はヤマモモ、木はヤナセスギ、鳥はヤイロチョウ、魚はカツオです。
県公認のマスコットキャラクターは「くろしおくん」です。
くろしおくんは土佐湾沖を流れる黒潮をモチーフにしたキャラクターで、県のイメージキャラクターとして活躍しています。
産業は、温暖な気候を利用した農業が古くから盛んです。
ししとう、みょうが、しょうが、ゆず、文旦類、四万十なすは全国一位の生産を誇ります。
他にも、きゅうり、ピーマン、にらなどが栽培されています。
また花木の栽培も盛んで、県で栽培されたグロリオサは世界の品評会で金賞を受賞しています。
畜産業では、土佐赤牛や土佐ジローなどのブランド牛が有名です。
漁業ではカツオが全国的に有名です。
カツオの漁獲量は全国一位を誇り、一本釣りで釣り上げます。
古くから愛玩鶏の産地として知られ、長尾鶏・東天紅鶏・土佐矮鶏などが飼育されています。
県に訪れる観光客の数は、年間約500万人です。
四万十川、ホエールウォッチングなど、自然を満喫できるスポットに人気が高まっています。
歴史
成り立ち
現在の県域は、令制国時代には「土佐国」に相当します。
また、県庁所在地である高知県は「土佐群」に属していました。
島根県の隠岐島(おきのしま)、新潟県の佐渡(さど)と並んで、古くは流刑地として使われていた地域です。
中央政権争いの影響が少なく、戦乱を避けられた地域ともいえます。
その時代は「陸の孤島」「遠流の国」と呼ばれていました。
戦国時代末期、長宗我部氏(ちょうそかべし)が、農民を戦力にするため一領具足の制度を作り、強大な力を持つようになります。
安芸氏・本山氏・一条氏を討ち土佐を統一、さらに四国制覇を達成します。
しかし、四か月後に豊臣秀吉に敗れ、土佐に戻されます。
その後長宗我部氏は関ケ原の戦いで領地を取り上げられ、変わりに山内一豊(やまのうち かつとよ)が土佐一国を支配し、その支配は江戸時代を通じて行われました。
幕末の時代、下層階級から坂本龍馬(さかもとりょうま)、武市半平太(たけちはんぺいた)、中岡慎太郎(なかおかしんたろう)らが土佐藩から出て、都で活躍します。
その後国持大名である土佐藩を中心に、支藩として高知新田藩、重臣の五藤家の安芸城、中村藩が置かれました。
1871年の 廃藩置県では、土佐藩が高知県となります。
その後分割、編入を繰り返し、1880年に現在の県域としての高知県が成立しました。
歴史的人物ゆかりの地
『坂本龍馬誕生地の碑(さかもとりょうまたんじょうちのひ)』高知市
1835年11月15日、坂本龍馬誕生の地に建てられた碑です。
石碑の書は元内閣総理大臣・吉田茂によるもです。
誕生日と同じ1867年の11月15日に亡くなった龍馬をしのんで、毎年11月15日は「龍馬誕生祭」が行われています。
『田中良助旧邸(たなかよしすけきゅうてい)』高知市
坂本龍馬が暮らした坂本家の領地を管理していたのが田中家です。
龍馬と田中家は親交が厚く、何度も田中家を訪れていたと言われています。
田中家からお金を借りた借用書など、貴重な資料も発見されています。
史跡/碑
『旧関川家住宅(きゅうせきかわけじゅうたく)』高知市
関川家は織田信雄(おだのぶお)の家臣で、徳川姓を名乗っていたことがあり、1790年に郷土に戻った人物と言われています。
今に郷士のたたずまいを見せる明治の建築物です。
『旧山内家下屋敷長屋(きゅうやまうちけしもやしきながや)』高知市
1866年に土佐藩15代藩主の山内容堂(やまうちようどう)の下屋敷として武家屋敷内に建てられた長屋です。
別邸の下屋敷は明治時代に拡張され山内家の本邸として使用されていました。
1867年、敷地内の物見亭は西郷隆盛が会見をした場所として知られています。
歴史的建造物
『豊楽寺(ぶらくじ)』長岡郡
724年、聖武天皇の勅願所として開基したと伝わるお寺です。
四国最古の建造物で、入母屋造り、柿葺き、単層、桁行(正面)5間、梁間(側面)5間があり、内陣に如来像3体を安置しています。
薬師堂は国宝に指定されています。
『吉福家住宅(よしふくけじゅうたく』土佐清水市
吉福家は網元の家でした。
近代和風建築の傑作と言われています。
建築年は1901年で、主屋、納屋、釜屋、門屋が残っています。