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鳥取県

概要

鳥取県は、中国地方の日本海側、山陰地方の東側に位置する県で、県庁所在地は鳥取市です。
面積は3,507.05km2で、都道府県の中で7番目に小さい面積です。
人口は約57万人で、全国で最も人口の少ない都道府県です。
県域を「東部」「中部」「西部」の3つに分けて区分することが多いです。
県内全域が日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されています。

県のシンボルは、花は二十世紀梨の花、木はダイセンキャラボク、鳥はオシドリ、魚はヒラメです。
県公認のマスコットキャラクターは「トリピー」です。
トリピーは県名産の梨をモチーフにした水兵のキャラクターです。
「やずぴょん」「ねぎ太、ねぎ子」「カニ太郎」はじめ38の仲間のキャラクターと共に活動しています。

県の東部には鳥取平野が広がり、鳥取砂丘、白兎海岸などの観光スポットがあります。
中部には白壁土蔵で知られる倉吉市をはじめ、三朝温泉、はわい温泉、東郷温泉などの温泉地が点在しています。
西部には、中国地方最高峰の大山があります。

鳥取は、古くから隣接する島根県との結びつきが強いです。
面積も小さく、人口も少ないことから、県内で生産される額も全国最下位となっています。
産業は、農業はスイカ、ナシ、白ネギ、しいたけ、長芋などの栽培が盛んで、中でも県内で栽培される二十世紀梨は全国的に知られています。
漁業は、白いか、イワシ、カレイ、マグロ、岩ガキ、松葉ガニなどが水揚げされます。
観光業も盛んで、県内に訪れる観光客の数は、年間約1千万人を超えています。
人気の観光スポットは、境港市にある水木しげるロード、大山、鳥取砂丘、鳥取大神宮などがあります。

歴史

成り立ち

現在の県域は、令制国時代には、「因幡国」と「伯耆国」に相当します。
因幡国は現在の鳥取県を中心とする東部で、伯耆国は倉敷市境港市、米子市を中心とする中東部です。

県の名前は垂仁天皇(すいにんてんのう)の「古事記」には「鳥取部」として記載されています。
県名の由来は、沢や沼の多い鳥取平野に鳥が多く集まり、鳥を狩猟してい民がいたことから名付けられたと言われています。
江戸時代に入ると、因幡国では亀井茲矩(かめいこれのり)、池田長吉(いけだながよし)、山崎家盛(やまざきいえもり)が、伯耆国では加藤貞泰(かとうさだやす)、市橋長勝(いちはしながかつ)、関一政(せき かずまさ)が統治しました。1618年には、池田光政(いけだみつまさ)が鳥取城に入城し、因伯2国からなる鳥取藩が成立します。
県域には、鳥取藩の他に鹿奴藩・若桜藩がありました。
また、伯耆国汗入郡の大山寺は1大山侍と呼ばれる武士によって18ヵ村を支配していました。
1871年の廃藩置県では因幡国の8郡、伯耆国の6郡が鳥取県となります。
その後、県域全体が島根県に併合されることもありましたが、1881年に現在の鳥取県域が鳥取県として最置されました。
一時期でも、島根県に併合されていたことから、昔から現在に至り、島根との強いつながりがあります。

歴史的人物ゆかりの地

『鳥取城(とっとりじょう)』鳥取市

鳥取城は1532年に山名氏によって鳥取城が築城されたと言われています。
戦国時代には、羽柴秀吉(はしばひでよし)と毛利郡との闘いの舞台になりした。
江戸時代に鳥取藩の治下に入り、整備されましたが、現在は天守台、復元城門、石垣、堀、井戸等の一部のみ残っています。

『米子城(よなごじょう)』米子市

米子城は、1467年~1487年に、山名宗之(やまなむねゆき)が飯山に砦を築いたのがはじまりと言われています。

その後本格的に築城を開始したのが、伯耆国の西伯耆の領主であった吉川広家(きっかわひろいえ)です。
しかし7割ほど完成したころに、吉川氏は関ケ原の戦いで敗れてしまいます。
本格的に城主になったのは1601年、伯耆国領主の中村一忠(なかむらかずただ)で、中村氏によって築城が再開され、1602年に完成したと言われています。
江戸時代には、米子軍の藩庁でした。

『若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)』八頭郡

1200年に駿河国の
正治2年(1200)に駿河国の矢部十郎テル種によって開城されたお城です。
矢部氏が16代に渡って城主でありましたが、後に木下・山崎氏等の居城となりました。
現在は当時の石垣が残っています。
石垣には1617年の破城の形跡を見ることが出来ます。

史跡/碑

『若桜宿(わかさじゅく)』八頭郡

中世には若桜鬼ヶ城の城下町、江戸時代には若桜街道と伊勢街道の宿場町として栄えた町です。
現在も蔵通りの白壁土蔵などが残り昔の面影を今に残しています。

『不動院岩屋堂(ふどういんいわやどう)』八頭郡

806年に創建された寺院です。
1581年豊臣秀吉の侵攻により焼失しました。
現在残っている建物は室町時代初期の再建と言われています。
ご本尊は黒皮不動明王で、東京の目黒不動、目赤不動とともに「日本三大不動明王」に数えられています。

『羽衣石城(うえしじょう)』

1366年、南条貞宗(なんじょうさだむね)が築城したお城です。

羽衣石山(標高372m)に建ち、約250年間、南条氏の拠点でした。
統治は伯耆国の支配権を巡り、尼子氏や毛利氏が激しい攻防を繰り返していました。在は山頂の本丸跡に模擬天守と「羽衣石城主南条公累代碑」が建てられています。
羽衣石城には模擬天守の元祖と言われているお城です。

歴史的建造物

『三仏寺(さんぶつじ)』東伯郡

706年役行者が修験道の行場として開いたとされるお寺です。
849年、慈覚大師円仁によりご本尊が安置されました。
奥院の建物は、絶壁の窪みに建てられた建築物で、国宝に指定されています。

『打吹玉川(うつぶきたまがわ)』倉敷市

打吹山山麓を流れる玉川沿いに位置する重要伝統的建造物群保存地区です。
白壁土蔵群があり、江戸時代から大正時代にかけて商業都市として栄えた家屋や街並みが現在も残っています。

『智頭宿(ちづしゅく)』八頭郡

奈良時代から江戸時代にかけて、街道の宿場町として栄えた街並みが残る場所です。
中でも石谷家住宅は、江戸時代の旧家で、約3千坪の敷地と、日本庭園を持つ邸宅で、智頭宿一番の見どころとして、多くの観光客が訪れています。

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