概要
滋賀県は近畿地方北東部に位置し、海に面していない内陸県で、県庁所在地は大津市です。
海に面していない滋賀県ですが、日本一の大きさを誇る湖、琵琶湖を有しているので「湖国」と呼ばれることがあります。
琵琶湖は県のシンボルであり、日本のシンボル的な湖です。
滋賀県は、京都、大阪が属する近畿地方と、名古屋が属する中部地方の両地方との結び付きが強いのが特徴です。
首都圏整備法では、「近畿圏」「中部圏」の両方に含まれ、県知事会もどちらにも出席しています。
そのほかに、福井県、岐阜県、三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、文化交流などを行っています。
県域には、琵琶湖とそれを取り囲むように山々が連なっています。
県内にある山は、比叡山、比良山、伊吹山、鈴鹿山などで、これらの山は昔から都が置かれ、交通における重要拠点でした。
県の面積は4,017.38km2で、琵琶湖はその6分の1の面積を占めています。
最も面積を占めるのは山林で、総面積の半分を占めています。
そのため、可住地面積が狭いのが特徴です。
県のシンボルは、花はシャクナゲ、木はモミジ、鳥はカイツブリです。
県公認のマスコットキャラクターは「うぉーたん」と「キャッフィー」です。
うぉーたんは琵琶湖の水の妖精で滋賀県のPR活動に努めています。
キャッフィーは琵琶湖に生態するビワコオオナマズのキャラクターで、県のPRとスポーツ振興に努めています。
マスコットキャラクターとしては、うぉーたん、キャッフィーより彦根市の「ひこにゃん」のほうが全国的に知名度が高いです。
滋賀県には、県民の日が設定されていませんが、琵琶湖の日として7月1日が設定されています。
琵琶湖の日には、琵琶湖とつながり共に生きていくために、琵琶湖への思いを県民が共有する日としています。
人口は約142万人を有しています。
県内の飲用水や工業産業用水は琵琶湖を水源としています。
また、内陸県でありながら琵琶湖には漁港があります。
滋賀の商人は「近江商人」と呼ばれ、全国各地に進出しています。
また、京都、大阪の都市を支える農業県でもあります。
県内の農業は稲作が中心で、耕地面積の水田率は国内2位を誇ります。
県内で栽培されるお米は「近江米」です。
日本茶といえば、静岡県や埼玉県狭山市をイメージされますが、日本茶の発祥地は滋賀県です。
現在も甲賀氏を中心にお茶の生産が盛んにおこなわれています。
また、琵琶湖て捕れるアユ、マス、シジミ、琵琶湖の東地域で生産される近江牛は全国的に知られています。
県内の工業は医薬品の置き薬が伝統産業で、医薬品生産額は全国11位です。
近年は、交通の利便性の良さから、様々な企業の工場や流通拠点、研究開発施設が進出しています。
また、大坂、京都に通勤、通学するベットタウンとしても注目され、首都圏以外では珍しい人口増加県となっています。
琵琶湖を中心に、行政や県民の環境意識が高く、全国的に環境先進県として知られています。
歴史
成り立ち
国造が分立した時代には、「淡海国造」と「安国造」の領域、令制国の時代には「近江国」でした。
戦国時代には、近江国北部は浅野氏(あさのし)が制しますが、近江を支配権に入れた織田信長(おだのぶなが)が近江盆地に安土城を築城します。
織田信長の死後は、羽柴秀吉(はしばひでよし)、豊臣秀次(とよとみひでつぐ) が八幡山城と城下町を築きます。
羽柴秀吉と豊臣秀次は、城下町だけでなく、琵琶湖につながる運河、八幡堀を整備し、近江の商業を発展させました。
他にも、近江から輩出された戦国武将は蒲生氏郷(がもううじさと)、藤堂高虎(とうどうたかとら )、大谷吉継(おおたによしつぐ)などの数々の名将がいました。
武将以外にも、甲賀郡からは甲賀流忍者が数多く活躍していました。
江戸時代に入ると、水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿という将軍御殿がありましたが、 徳川3代将軍家光(いえみつ)公以降は次第に老朽化していきました。
江戸時代には、現在の県域を江南(こうなん)、江西(こうせい)、江東(こうとう)、江北(こうほく)の4つの地域に分けられました。
これは現在の湖南、湖西、湖東、湖北にあたります。
将軍御殿の老朽化により、城下町としては衰退の一途を辿りましたが、その代わり、商工業が発展し、多くの近江商人を輩出しました。
明治時代には、現在の大津市に幕府領と旗本領が設置されましたが、廃藩置県によって各藩は県に移行した後、1872年に現在の滋賀県が成立しました。
歴史的人物ゆかりの地
『安土城(あづちじょう)』近江八幡市
1579年に織田信長が築いたお城です。
五層七階の天主を持った城でね金のしゃちほこが屋根に乗せてあります。
通常のお城では「天守」と書きますが、安土城だけは「天主」と呼びます。
天主閣は、外観からは5層に見えるのに対し、中に入ると7階(地下1階、地上6階)で構成されています。
外観と内観が異なるのが、安土城の特徴です。
現在は、安土城を中心に洛中洛外、楽市楽座、戦国砦など安土桃山時代の街並みを、時代考証に基づき再現した「伊勢安土桃山文化村」となっています。
一歩足を踏み入れると、戦国時代に迷い込んだタイプスリップ感を味わえるとあって、多くの観光客が訪れています。
『彦根城(ひこねじょう)』彦根市
1604年に徳川家康公の命により着工され、その後移転などをしながら20年の月日をかけて築城された井伊直勝(いいなおかつ)、井伊直孝(いいなおたか)など井伊氏14代の居城だったお城です。
江戸時代から明治初期までは彦根藩の役所が置かれていました。
彦根城は別名「金亀城(こんきじょう)」とも言います。
史跡/碑
『皇子山古墳(おうじやまこふん)』大津市
古墳時代前期の前方後方墳です。
錦織遺跡の北側に天智天皇を祭神とする近江神宮(おうみじんぐう)が鎮座しています。
『近江国府跡(おうみこくふあと』大津市
奈良時代から平安時代の律令制度下で、近江国の政治を管轄する地方行政機関の施設跡です。
国の史跡に指定されています。
『琵琶湖疏水(びわこそすい)』大津市
1890年に第1疏水、1912年に第2疏水が完成された水路で、琵琶湖の水を京都に流すために作られました。
現在も水道用水、水力発電、工業用水などに使われています。
歴史的建造物
『延暦寺(えんりゃくじ)』大津市
標高848mの比叡山全域を境内とする寺院で、日本天台宗の本山寺院であり、日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出した「仏教の母山」と呼ばれています。
平安時代の僧侶である最澄(さいちょう)上人が788年に一乗止観院を創建したのがはじまりと言われています。
比叡山は、百人一首で「世の中に山てふ山は多かれど、山とは比叡の御山(みやま)をぞいふ」と読まれています。
『園城寺(おんじょうじ)』大津市
一般的には「三井寺(みついでら)」と呼ばれている園城寺は、天智天皇の子
である大友与多王(よたのおおきみょが父の霊を葬るために創建したのがはじまりと言われています。
観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所であり、近江八景の1つに数えられる「三井の晩鐘」でも有名です。
『近江八幡市新町通り(おうみはちまんししんまちどおり)』近江市
豊臣英次によって1585年に築かれた八幡山城の麓で栄えたかつての城下町地域です。
八幡山城は10年足らずで廃城しますが、廃城後も交通の要場所として繁栄しました。
近江商人の本宅のあった新町通り、これと直交する京街道・永原町などがあり、現在も当時の面影を残す町並みとして、伝統的建造物群保存地区に指定されています。