概要
群馬県は、関東地方の北西部に位置する、海に面さない内陸中央部の県で、県庁所在地は前橋市です。
県内は利根川の上流地域にあたり、南部には関東平野、北西部には山地が連なります。
隣接する福島県との県境には、自然環境保護地域として名高い「尾瀬国立公園」が広がっています。
群馬県を上空から見ると、羽を広げた鶴の形に似ているため、昔から伝わる「上毛かるた」では「つる舞う形の群馬県」と歌う札があります。
そのため、地元の人は「鶴の羽の部分」「鶴の頭の部分」と地域を鶴の形を引用して話をすることがあります。
県の面積は6,362.28km2、人口は約197万人を有し、人口の7割が県内の拠点都市数か所に分散しています。
多くの都市と異なり、明確な首位都市が存在しないのが群馬県の特徴の一つです。
県のシンボルは、花がレンゲツツジ、木はクロマツ、鳥はヤマドリ、魚はアユ、群馬県民の日は10月28日です。
県公認のマスコットキャラクターは「ぐんまちゃん」です。
ぐんまちゃんは、馬のポニーをモチーフに作られたキャラクターで、「群馬県宣伝部長」のたすきをかけています。
ぐんまちゃんは、群馬県のイメージアップに努めていて、デザインは無料で使用することが出来ます。
県内を流れる利根川は、東に流れて太平洋、東京湾に流れ着きます。
また、尾瀬の水は日本海に流れ着きます。
海に面さない内陸地域ですが、関東地方で日本海に注がれる河川の集水域は群馬県だけです。
群馬県と言えば「からっ風」「かかあ天下」が有名です。
海に面している地域では、海水を含む湿った風が吹きますが、内陸部の位置する群馬県の風は乾燥していることから「からっ風」と言われています。
また、「かかあ天下」の由来は、古くより絹産業(養蚕・製糸・織物)が盛んで、他の地域に比べて女性の経済力が高かったと考えられています。
2015年には「かかあ天下 群馬の絹物語」の名で、富岡市の富岡製糸場、桐生市の桐生織物会館旧館など16件が世界遺産に登録されています。
現在も、県の東部、桐生市を代表とする「東毛」と呼ばれる地域では織物業が盛んで「織都」と称されます。
織物産業以外にも、県内には富士重工業(スバル)を中心とする自動車産業、工業が盛んです。
群馬県は、一世帯当たりの自動車保有台数、女性の運転免許保有数が共に日本一となっています。
県の北部「北毛」と呼ばれる地域は、標高が高い山と豪雪地帯に指定される地域が多くあります。
中でも、浅間山や草津白根山は活火山です。
北毛地域には、万座スキー場をはじめとするスキー場が多く点在し、草津温泉、伊香保温泉、水上温泉、しまん温泉、万座温泉などの全国的にも有名な温泉地が豊富にあり、観光業が盛んです。
歴史
成り立ち
かつては「上州」呼ばれた群馬県は、江戸時代には東国の北の守りとして、譜代大名が配置されていました。
元々は「毛野国」(毛の国)と呼ばれていましたが、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国となり、上野国が「上州」と呼ばれるようになりました。
たまに「上毛(じょうもう)」と呼ぶこともあります。
上野国の領域は、現在の群馬県域とほぼ同じです。
江戸時代には、東の国の守り地として、前橋藩、高崎藩、沼田藩、館林藩、安中藩、小幡藩、伊勢崎藩、吉井藩、七日市藩が置かれ、幕府領を支配する代官の陣屋「岩鼻陣屋」も置かれていました。
江戸時代から昭和にかけて、桐生市を中心に絹織物生産の中心地でした。
当時から上州の女性は、家庭の主婦という従属的な位置に甘んじず、自ら養蚕織物業で収入を得ていました。
養蚕織物業は、年齢にも関わらず働くことが出来る技巧であるため、加齢にも影響を受けず、働いている女性が多くいました。
収入を得られる女性は、その時代としては少数派であり、「かかあ天下」「うちのかかあは天下一」という言葉が有名になりました。
県内の養蚕製糸業は、当時の製造工学技術の発展にも大きく影響し、大正時代には日本最大の飛行機会社である「中島飛行機」が設立されています。
昭和初期の戦時中は、群馬県は疎開地として多くの人や企業を受け入れました。
県内には軍需工場をはじめとする工場が多く立ち並び、米軍の空襲の標的となり、大きな被害を受けています。
歴史的人物ゆかりの地
『高山彦九郎記念館(たかやま ひこくろうきねんかん)』太田市
高山彦九郎は現在の太田市細谷町で生まれた、江戸時代勤王思想家です。
幕末の勤王の志士たちに大きな影響を与え、明治維新を導いた人物と言われています。
その生涯を旅に費やし、全国各地を旅しながら様々な階層の外と交流しました。
昭和初期の小学校の教科書には、彦九郎の一側面が載っていました。
高山彦九郎記念館では、旅の足跡をテーマに、書簡・日記・旅道具の展示、映像・影絵などで人物像と時代背景を紹介しています。
『沼田城址』沼田市
1580年に真田昌幸(さなだまさゆき)が入城したお城です。
1590年には、長男の真田信幸(さなだのぶゆき)が沼田領二万七千石の初代城主となりました。
その後5代91年もの間、真田氏の居城となりました。
1681年、江戸幕府に領地を没収、城の破却をされましたが、現在も石垣の一部などを確認することが出来ます。
城跡は、「沼田公園」として整備されています。
史跡/碑
『岩宿遺跡』(いわじゅくいせき)みどり市
岩宿遺跡は、日本ではじめて旧石器時代の石器が出土した場所で、旧石器時代にも人が住んでいたということがわかった石器として、出土したときには「世紀の大発見」と言われた遺跡です。
日本で最も有名な遺跡のひとつとされ、遺跡の近くには資料館や地層の見学施設があります。
『七輿山古墳(ななこしやまこふん)』藤岡市
七輿山古墳は6世紀前半につくられた三段築成の前方後円墳です。
当時の古墳としては東日本最大級と言われています。
『山上碑(やまのうえひ) 』高崎市
681年に建てられたとされる日本最古級の石碑です。
放光寺の僧侶が亡き母の供養のために建てたといわれています。
『金井沢碑(かないざわのひ) 』高崎市
古代の豪族である三家氏が先祖供養のために造立したものです。
碑文からは行政制度や一族の結びつきなどを読み取ることができる、貴重な遺跡とされています。
歴史的建造物
『六合赤岩』吾妻郡
「赤岩地区重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている集落です。
明治から昭和中ごろまでは、養蚕が盛んにおこなわれていた場所です。
『八幡川堰提群(はちまんがわさぼうていぐん) 』
八幡川堰提群は、明治14~18年にヨハネス・デ・レーケ(オランダ人)が内務省の要請により建築した砂防です。
八幡川堰提群は、現在の日本における砂防技術の発展に、大きく貢献したといわれています。
『富岡製糸場 』富岡市
1872年に創業された日本初の官営模範製糸場です。
明治政府の掲げた政策「殖産興業」の一翼を担うべく誕生し、ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた世界最大規模の製糸工場です。
現在もほぼ創業当初の状態で保存されていて、2015年に「かかあ天下 群馬の絹物語」の名で世界遺産に登録されています。