概要
埼玉県は、関東地方の中央部に位置する内陸県で、県庁所在地はさいたま市です。
人口は約727万人を有し、都道府県別の人口では全国第五位、人口密度は全国第四位です。
全国で海に面さない8つの内陸県のうちの一つであり、港や臨海工業地帯を持たない県です。
内陸県では、唯一の政令指定都市です。
県の東は関東平野に位置し、平坦な土地が広がっています。
江戸川、中川をはじめとする利根川の支流河川が流れているため、古くから洪水が起きやすい地域でした。
現在も治水事業などの洪水対策が行われています。
県の中部には荒川が流れ、武蔵野台地、入間台地、高坂台地、東松山台地、江南台地といった台地が広がっています。
その西には狭山丘陵、加治丘陵、岩殿丘陵、比企丘陵などの丘陵が点在しています。
西部は、秩父山地をはじめとする関東山地が広がっていて、秩父山地に囲まれた地域は秩父盆地を形成しています。
埼玉県のシンボルは、花はサクラソウ、木はケヤキ、鳥はシラコバト、魚はムサシトミヨ、蝶はミドリシジミです。
県公認のマスコットキャラクターは「コバトン」と「さいたまっち」です。
コバトンとさいたまっちは、県の鳥であるシラコバトをモチーフにしたキャラクターです。
最初はコバトンだけが県のPR活動を行っていましたが、2014年の県民の日にコバトンの友達としてさいたまっちが登場しました。
県民の日は11月14日です。
県庁所在地であるさいたま市は、内陸県最大の都市であり、プロサッカーチームの浦和レッドダイヤモンズの本拠地として知られています。
また、鉄道博物館、盆栽美術館、盆栽村があり、鉄道と盆栽の街としても知られています。
県の形状は東西約103km、南北約52kmと東西方向に長く、東京から放射状に交通網が伸び、首都圏のベットタウンとしての機能を担っています。
埼玉県は、首都の近郊でありながら、農業の盛んな地域です。
農業出荷額は全国17位ですが、ネギ、ホウレンソウ、ブロッコリーは全国トップ5に入ります。
観光地資源も多く、小江戸と呼ばれる川越には、江戸の町屋が残る街並み商店街があり、休日ともなると多くの人が訪れます。
また、秩父地域では温泉があります。東京から近い距離でありながら、豊かな自然環境が残る秩父は、首都圏から小旅行に訪れる人が多いです。
歴史
成り立ち
県の東端の江戸川添いの一部は、古くは「下総国」に含まれていましたが、県域の多くは「武蔵国」に含まれる地域でした。
中世に鎌倉幕府が成立すると、県域には鎌倉街道などの街道が整備されました。
物資の流通だけでなく、軍事的にも重要な役割を担い、川越城をはじめとする重要拠点が建築されました。
また河川では水上交通が発達しました。
関ケ原の戦いを経て、江戸幕府が成立すると、県域は「武蔵三藩」である川越藩、岩槻藩などが怒れました。
鎌倉幕府時代より、県内最重要拠点であった川越は城下町として発展し、江戸北部の防衛拠点として、政治、経済、商業、工業の中心地となりました。
この頃から、川越は「小江戸」と呼ばれ、おおいに繁栄したといわれています。
江戸幕府による江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道、日光街道などの街道と、蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿、草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿などの宿場町が置かれました。
他にも徳川家康公による「利根川東遷事業」が行われ、利根川は渡良瀬川へ、荒川は入間川に流れるよう導かれました。この事業が現在の河川の流れを作ったといわれています。
歴史的人物ゆかりの地
『渋沢栄一記念館(しぶさわ えいいち きねんかん) 』深谷市
渋沢栄一氏は、みずほフィナンシャルグループ、王子製紙など500社の企業設立、育成に関わり、約600の社会公共事業、民間外交に尽力した「近代日本経済」の父と呼ばれる人です。
NHKドラマ「あさが来た」では、「銀行の神様」として渋沢栄一が登場するシーンもありました。
記念館では、写真や資料が展示されている他、肉声の声や映像を見ることが出来ます。
『見性院の墓(けんしょういんのはか)』さいたま市
清泰寺(せいたいじ にある、武田信玄(たけだしんげん)の次女、見性院のお墓です。
見性院は武田氏の家臣であった穴山 梅雪(あなやま ばいせつ)の妻であり、
会津藩会津松平家初代、保科 正之(ほしな まさゆき)の育ての親です。
1858年、会津藩によって墓石が建てられました。
『静御前(しずかごぜん)の墓』 久喜市
静御前は、源義経(みなもとのよしつね)の内妻です。
幼少より舞をはじめ、十三歳で宮中節会(せちえ)に奉仕された”雨乞いの舞”は、後白河法皇から”日本一”と賞賛され、一躍有名になったといわれています。
近年は、ゲームのキャラクターにも登場しています。
史跡/碑
『吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)』比企郡
6世紀から7世紀の古墳時代の横穴墓群で、埼玉県を代表する古墳です。
凝灰岩の岩山の斜面に多数の穴が空いていて、現在219個の穴が数えられています。
地下には軍需工場が造られ、その内部の一部が見学できます。
岩山の下方には、ヒカリゴケが自生し、幻想的な色を放っています。
『新田橋の礫岩露頭(あらたばしのれきがんろとう)』秩父郡
秩父盆地の地下には、約1,500万年前に姿を消した「古秩父湾」の地層が累積5㎞の厚さで堆積されています。
新田橋の礫岩露頭では、その地層が観察でき、地質学上で大変貴重な役割を果たしています。
歴史的建造物
『川越(かわごえ)』 川越市
川越には、江戸の町屋形式が発達した蔵造の街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
蔵造の街並みは、現在も商店街としてにぎわいを見せ、多くの観光客が訪れています。
川越の蔵造の街並みは、「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれています。
『誠之堂(せいしどう)』深谷市
1916年に「近代日本経済」の父と呼ばれた渋沢栄一氏の喜寿を祝って建てられた建築物です。
建築には、第一銀行の行員たちが出資したと言われています。
『清風亭(せいふうてい) 』深谷市
1916年に当時の第一銀行頭取、佐々木勇之介の古希を記念して建てられた建築物です。
『旧秩父セメント第二工場(きゅうちちぶせめんとだいにこうじょう』秩父市
1956年建てられた、秩父の巨大なセメント製造工場。
帝国劇場の設計などで知られる建築家、谷口吉郎氏による設計です。