概要
山梨県は中部地方に属し、海に面さない内陸部に位置する県で、県庁所在地は甲府市です。
海がない数少ない県の一つである山梨県は、南に日本一の山として古来より信仰の対象とされた富士山がそびえています。
山梨のシンボルでもあり、日本のシンボルである富士山は世界遺産に登録されています。
また、西には南アルプスと呼ばれる赤石山脈、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地と、四方を標高2千メートルを超える山々に囲まれています。
県の面積は4,465.27km2ですが、その8割が山岳地で占められているため、可住地面積は全国45位です。
山梨県は、地理上では関東に属します。全国八地方区分では中部地方に属しますが、国土整備行政上では中部圏ではなく、首都圏の関東地方と一緒に扱われることが多いのが特徴です。県は、甲信または甲信越地方と呼ばれることが多いです。
県の中心は、甲府盆地を中心とする「国中(くになか)」地域と、富士山北麓周辺の「郡内(ぐんない)」地域の二つの地域に分けられます。
国仲と郡内は、戦国時代以降からの呼び名で、それぞれ文化や自然環境、方言が異なるのが特徴です。
人口は約83万人を有しています。
県のシンボルは花はフジサクラ、木はカエデ、鳥はウグイス、獣はカモシカです。
県公認のマスコットキャラクターは「武田菱丸(たけだひしまる)」です。
武田菱丸は、山梨の歴史上の人物「武田信玄(たけだしんげん)をイメージしたキャラクターです。戦国時代の武将キャラクターなので、語尾に「~まる」というのが口癖です。
山梨県民の日は11月20日、富士山の日を2月23日に設定しています。
内陸部に位置し、海に面していない地域であるものの、県内には寿司屋をはじめとする外食産業の店舗数が多く、人口一人当たりの店舗数は全国一位を誇っています。
寿司屋が多い理由には、昔から海に対する憧れが強く、祝い事には寿司をふるまうことが習慣となり、海に面する地域から海産物の移入が行われていたためだと考えられています。
県内からは、明治時代のマグロの骨が出土されています。
甲府盆地は水はけのよい平坦地であり、高地のため朝晩、四季の寒暖の差が多い気候から農業に適した地域でした。
江戸時代には、治水や用水路が開発され、養蚕や果樹などの商品作物栽培が発達しました。
養蚕は明治時代には全国有数の産地でしたが、昭和30年代をピークに減少し、変わりに果樹栽培が増加しています。
県内では、ぶどう、桃、さくらんぼなどの栽培が盛んで、中でもブドウはワイン醸造もおこなわれています。
果樹栽培農家では、観光農園として首都圏からの観光客を集めています。
また山が多く、清澄な湧水が多く採取できるので、ミネラルウォーターの生産が盛んです。
主な産地は南アルプス、富士山、三ツ峠山麓で、国内総生産量の4割を占めています。
昭和の第二次世界大戦後に、中央自動車道路が開通しました。
それと同時に精密機械産業や、宝石加工産業が発達しています。
また、高低差のある河川を利用した水力発電、日照時間の長さを利用した太陽光発電も盛んで、県内の電力供給は水力と太陽光でほぼ賄われています。
山々に囲まれた県内には、整備された公園が多く存在しています。
国立公園には富士箱根伊豆国立公園、秩父多摩甲斐国立公園、南アルプス国立公園も国定公園には八ケ岳中信高原国定公園、県立自然公園には四尾連湖県立自然公園、南アルプス巨摩県立自然公園があります。
歴史
成り立ち
県内に人々が生活していたのは、今から3万年以上前からと考えられています。
8世紀には「甲斐国(かいこく・かいのくに)」と呼ばれる地域で、甲斐国は山梨、矢代、巨麻、都留の4群からなり、古代国家の体制を保っていました。
1131年には、源義清(みなもとのよしきよ)、清光(きよみつ)が甲斐源氏(かいげんじ)を興しました。
甲斐源氏の諸氏の武田信玄(たけだしんげん)は、16世紀には戦国大名として発展しました。
武田氏は甲府につつじケ崎館や要害城を築き天下統一を目指しましたが、1582年に武田氏が滅亡します。
武田氏滅亡の後の山梨は、織田信長・徳川家康・豊臣秀吉と支配が移り、江戸幕府の下で甲府藩(国中)・谷村藩(郡内)が成立しました。
明治時代に入ると、甲斐府から甲府県を経て1868年に山梨県となります。
明治初期には製糸ぎようや酒造業か発展され、明治後半には中央線が開通し、産業や文化が発展しました。
昭和に入り、1982年、中央自動車道路が全線開通したことにより、物流が盛んになり、工業が発展しました。
歴史的人物ゆかりの地
『武田神社(たけだじんじゃ)』甲府市
戦国時代の武将、山梨を代表する歴史的人物である武田信玄公をご祭神としてお祀りしている神社です。
武田神社近隣の石水寺要害城が武田信玄生誕の地です。
『武田八幡宮(たけだはちまんぐう)』韮崎市
822年、嵯峨天皇の命によって創建された古社で、神奈川の鶴岡八幡宮より古い歴史を持っています。
戦国時代に、武田信玄が大檀主として嫡子である武田義信とともに再建した八幡宮です。
史跡/碑曽根丘陵
『大丸山古墳(おおまるやまこふん)』甲府市
甲府盆地最古の前方後円墳で1920年に発見されました。
4世紀後半のものと考えられています。
『躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかた)』甲府市
かつて武田信玄をはじめとする、甲斐国武田氏の居館跡です。
『甲府城址(こうふじょうあと)』甲府市
武田氏滅亡の後、豊臣秀吉の命によって築城された城です。
現在は、公園として整備され。桜の名所として知られています。
『新府城跡(しんぷじょう)』韮崎市
1581年に武田勝頼(たけだかつより)が傷ついた城です。
現在は市立公園としい整備され、市民憩いの場となっています。
『岩殿城跡(いわどのじょう)』大月市
甲斐武田氏の家臣 小山田氏が治めたこの山梨県東部に建てられた城で、武田信玄が小田原北条に備えた拠点だった城です。
2016年の大河ドラマ「真田丸」の撮影場所に登場し、再び注目を集めいます。
歴史的建造物
『清白寺(せいはくじ)』 山梨市
足利尊氏が1333年に創立したとされるお寺です。
仏殿は唐様の建築で国宝に指定されています。
『大善寺 (だいぜんじ)』甲府市
別名ぶどう寺と呼ばれているお寺です。
かつてこの地を訪れた僧行基が、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れたことが「ぶどう寺」の由来と言われています。