概要
福岡県は、日本の九州地方北部にある県で、県庁所在地は福岡市です。
面積は4,986.40km2、人口は約510万人、九州地方で最大の人口を有しています。
福岡市、北九州市の二つの市が政令指定都市に指定さています。
県域は福岡地域、筑後地域、北九州地域、筑豊地域の4つの地域に分けられることが多いです。
県の北部は玄界灘、響灘で知られる日本海に面し、東は周防灘の瀬戸内海、筑後地方は有明海に面しています。
中部には筑紫山地が連なり、筑後川、矢部川、遠賀川の流域には平野部が広がります。
玄界灘と壱岐を挟んで対岸には大韓民国(韓国)があり、福岡市から韓国の釜山市までは直線で200km、中華人民共和国(中国)の上海までが850kmで、どちらも福岡・東京間より近い距離にあります。
そのため、県内の港である博多港、北九州港や福岡空港、北九州空港からはアジア都市への航路が多く設定されています。
県のシンボルは、花はウメ、木はツツジ、鳥はウグイスです。
県公認のマスコットキャラクターは「エコトン」です。
エコトンは福岡名産のとんこつラーメンをイメージしたどんぶりに入った豚のキャラクターで、しっぽがなるとで出来ています。
福岡県の広報部長として、県のPR活動を担っています。
県民の日は設定していません。
県の産業は、農業、漁業、工業、観光業ともに盛んです。
古くから大陸に近い福岡県は、日本の中でも早くに大陸文化に触れる機会が多く、他の地方より早く米作りをはじめた地域だと言われています。
現在は「ひのひかり」「夢つくし」「つくしろまん」などのブランド米を栽培しています。
お米以外にも、麦やイチゴは全国で二位の生産額を誇ります。
中でも県内で栽培されたイチゴは「博多とよのか」「あまおう」のブランド名で全国的に知られています。
また、菊花の栽培は全国三位を誇っています。
漁業は、玄界灘、響灘、周防灘、有明海に面するため、水揚げされる魚の種類も豊富です。
サバ、アジ、イカ、ヒラメ、フグ、カレイ、ワタリガニ、カキなどの他に、有明海特有の魚介類も水揚げされます。
有明海では海苔の養殖が盛んにおこなわれています。
工業は、かつて筑豊地域には多くの炭鉱が存在していました。
石炭の採掘が行われていましたが、1960年代から石炭から石油にエネルギー転換されたことを機に、炭鉱は閉山されていきました。
最後に残った炭鉱は三井三池炭鉱で、1997年に閉山しています。
炭鉱が閉山した後の筑豊地域では、工業誘致を積極的に行い、トヨタ自動車九州などの企業工場かあります。
県は、トヨタ自動車のおひざ元である愛知県のように、自動車製造拠点にするべく構想を推進していて、トヨタ自動車の他に、日産自動車九州、ダイハツ九州などの工場が進出しています。
また、久留米市は全国的に知名度の高い企業、ブリヂストンの創業地であり、ゴム加工品メーカーの工場が多く立ち並んでいます。
北九州市は工業都市であり、新日鉄住金、出光などが立ち並ぶ工業地帯を形成しています。
歴史
成り立ち
県域は、律令国時代は「筑前国」「筑後国」と「豊前国」の一部に相当します。
1019年に筑前国に海賊船団が侵攻してきた記録が残っています。
1158年には平清盛が大宰大弐(長官)となります。
その後、清盛は平政権を樹立しようと、博多商人の基盤となる人工港湾「袖の港」を建設し、日宋貿易を開始します。
袖の港が開港したのは1161年ごろで、日本ではじめての人工港湾でした。
中世時代は、モンゴル王国、高麗王国からの襲来を受けます。
その他、大友氏、毛利氏、島津氏による戦が行われ、博多の街は荒廃していきますが、1587年、 豊臣秀吉によって博多街が復興(太閤町割)します。
秀吉から復興を命じられたのは、黒田官兵衛でした。
1864年京都を追放され長州に逃れた三条 実美(さんじょう さねとみ)らが太宰府に移されます。
県域には福岡藩、福岡藩の支藩の秋月藩、豊津藩、中津藩、久留米藩、柳河藩、三池藩がありました。
1871年の廃藩置県では小倉県、千束県、中津県、久留米県、柳河県、三池県が成立します。
その後編入、統合などを繰り返し、1876年にほぼ現在の県域として福岡県が成立しました。
歴史的人物ゆかりの地
『小倉城(こくらじょう)』小倉市
1587年、毛利勝信(もうりかつのぶ)が石垣造りの城郭を築き、細川忠興(ほそかわただおき)が1602年から7年かけて大改修を行って天守を建てたお城です。この時、城下町の整備もおこなわれ、西は侍町、東は待ち人、下級武士の街とされていました。
現在は小倉城公園として整備されています。
『北原白秋生家(きたはらはくしゅうせいか)』柳川市
詩人、北原白秋の生家跡です。
白秋が誕生した時の母屋と穀蔵が残っていて、幕末時代から明治時代の建造と考えられています。
現在は北原白秋生家保存会により、文学館施設となっています。
『森鴎外旧居(もりおうがいきゅうきょ)』小倉市
文豪、森鴎外が明治時代に陸軍軍医部長として小倉に赴任した時に住んでいた旧居です。
鴎外の小説「鶏」は、この家を舞台に書かれたものだと言われています。
現在は一般公開されています。
史跡/碑
『大宰府庁跡(だざいふちょうあと』太宰府市
奈良時代、平安時代を通して、外国の交渉窓口となる役所、大宰府があった場所です。
現在は礎石、門や回廊、周辺の役所跡等が残り、公園として整備されています。
『水城跡(みずきあと)』太宰府市、大野城市、春日市
664年に天智天皇(てんちてんのう)によって築かれたとされる城跡です。
憶礼福留(おくらいふくる)、四比福夫(しひふくふ)が建設の指揮をとったと言われています。
歴史的建造物
『旧三井港倶楽部(きゅうみついみなとくらぶ)』大牟田市
1907年、清水建設3代目社長である清水満之助が設計、施工した建物です。
三井グループ関係の社交クラブ、外国船員の宿泊、接待の場、財界人、皇族の方々の迎賓館として利用されてきました。
日本を代表する洋風建物と言われています。
1949年には昭和天皇も訪れています。
『旧伊藤伝右衛門邸(きゅういとうでんえもんてい)』飯塚市
炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門の邸宅だった建物です。
大正から昭和にかけて造営されたと言われています。
建物、庭園ともに一般公開されています。