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鹿児島県

概要

鹿児島県は、九州南部に位置する県で、県庁所在地は鹿児島市です。
海上南部の離島、薩南諸島も含みますと島数は605個あり、薩南諸島は種子島、屋久島を含む大隅諸島、トカラ列島、奄美群島からなり、最北端は獅子島、最南端は与論島で、また有人島最大は奄美大島、有人島最小は新島です。
その中でも世界遺産に指定されている屋久島は有名です。

本土の地質はシラス台地と呼ばれ、水はけがよく非常に脆いのが特徴です。
低地や平地が極端に少なく、殆どの市街地が山に囲まれています。
そのため、市街地は県内に点在して存在します。
県の面積は9,186.94km2、人口は約165万人です。

県のシンボルは、花はミヤマキリシマ、木はカイコウズ、クス、鳥はルリカケスです。
県民の日は設定していませんが、鹿児島畜産の日として2月9日と、2月以外の月の29日を設定しています。
県公認のマスコットキャラクターは「薩摩犬つんつん 」です。
薩摩犬つんつんは、歴史的人物、西郷隆盛の愛犬「つん」に由来する薩摩犬のキャラクターてす。
薩摩犬つんつんの他にも、「薩摩剣士隼人」「幻魔神狐ヤッセンボー」「吉野狐コンコン」「幻魔忍者くぐり狐衆」「黒ぢょか太郎」「黒豚ヴィちゃん」「アマンクロス」「果樹神合体カジュカンサー」「GAラッパー」など全部で21のキャラクターがあり、総して「ボッケモン」と名付けています。
鹿児島県は、日本有数の農業県です。
農業産出額は全国で4位です。

農産物にはサツマイモ、さやいんげん、お茶などがあります。
また、養豚業は鹿児島の代表的な産業で、県産業の基幹でもあります。
特に「黒豚」は全国的に有名で、養豚業の中で黒豚の割合は年々増加傾向にあります。
また、漁業では鰹節の生産、うなぎの養殖が盛んな行われています。
昔から焼酎の製造が盛んで、蔵元は各地に点在しています。
県で製造される「薩摩焼酎」「甘味黒糖焼酎」は、県を挙げて知名度アップにつなげようと積極的にPRしています。
また、県域には宇宙センターがある種子島があり、県内各地に宇宙関連の研究施設がもうけられています。
これら宇宙施設は行政改革により、宇宙航空研究開発機構 (JAXA)による運営となっています。

観光業も盛んで、活火山桜島と、その周りに湧き出す温泉は有名です。
温泉の源泉の数は2,730あり、大分に次ぐ全国2位の豊富な温泉を有しています。
指宿温泉、霧島温泉などは全国的に知名度が高く、多くの観光客が訪れています。
また、世界遺産の屋久島は、国内外から観光客が訪れます。

歴史

成り立ち

古代にはヤマト王権から異民族視された隼人一族の住地であり、隼人の古墳は地下式板石積石室墓を特徴とします。日向国から分離して702年(大宝2)に薩摩国、多禰国(824年(弘仁15年~天長元年)に大隅へ編入される)、713年(和銅6年)に大隅国が成立し、他国からの植民も始まったが、その後も隼人の反乱は絶えませんでした。
1185年、島津忠久を祖とする島津氏が薩摩国・大隅国・日向国守護を独占しく、戦国時代には戦国大名となります。
島津氏は薩摩、大隅、日向の三国を「三洲」と称し「三洲の太守」と呼ばれていました。
県全域を支配するようになるのは、安土桃山時代に入ってからです。
1543年、種鹿島にポルトガル船が漂着します。
1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸、キリスト教を布教します。
1587年、九州全域を征服した島津氏が、豊臣秀吉に屈服し、利用度は薩摩、大隅、日向に限られます。
1609年、薩摩藩が琉球王国を服属させ、奄美諸島を領土にします。
江戸時代末期頃、徳川家と島津家が姻戚関係となり、長州藩や土佐藩などとともに、明治維新を成功させ、多くの維新元勲を輩出しました。

一方、奄美諸島では、3万年以上前の遺跡か発掘されています。
古来から、日本本土や沖縄地方との交流が行われていたと考えられています。
1871年、廃藩地検により薩摩藩管轄範囲での鹿児島県が成立します。
その後編入、分割などを繰り返し1879年にほぼ現在の県域での鹿児島県となります。
しかし、昭和の第二次世界大戦後の1945年、奄美諸島はアメリカ政府の統治下となります。1953年に返還され、鹿児島県域に戻ったという歴史があります。

歴史的人物ゆかりの地

『西南戦争薩軍本営跡』鹿児島市

西南戦争時に、西郷隆盛率いる薩摩軍の本営が置かれた場所です。
戦争跡は、市民の憩いの場として利用され、また正午の時報を鳴らす山砲がありました。
山砲が「どーん」という音を出したことから「ドン広場」と呼ばれています。

『西郷武屋敷跡 西郷公園(さいごうたけやしきあと さいごうこうえん)』鹿児島市

西郷隆盛が征韓論に敗れてから西南戦争までの4年間を過ごした武屋敷です。
隆盛は「武村の吉」として吉野で農耕に励む一方、狩猟や湯治を楽しんでいたと言われています。
別府 晋介(べっぷしんすけ)の介錯によって最後を遂げたと言われています。

『大久保利通生誕地之碑(おおくぼとしみちせいたんちのひ)』鹿児島市

大久保利通は市内の高麗町で誕生し、その後加治屋町に移り住みました。
現在は摩の歴史や人物を紹介する施設「維新ふるさと館」となっています。

史跡/碑

『祗園之洲砲台跡(ぎおんのすほうだいあと)』鹿児島市

1863年の薩英戦争で薩摩藩の攻撃に使用された砲台です。

『大久保利通銅像(おおくぼとしみちどうぞう)』鹿児島市

西郷隆盛(さいごうたかもり)、木戸孝允(きどたかよし)とともに「明治維新の3傑」と言われた大久保利通のモニュメントです。
没後100年を記念した1979年に制作されました。

『西郷隆盛銅像(さいごうたかもりどうぞう)』鹿児島市

徳川幕府を倒し明治新政府を築き上げた維新最大の功労者、西郷隆盛の銅像です。
1937年に完成した銅像で、製作者は渋谷の忠犬ハチ公の銅像を製作した安藤照によるものです。

歴史的建造物

『仙巌園(せんがんえん)』鹿児島市

江戸時代の初期につくられた薩摩藩主、島津家の庭園です。
庭園内には歴代の藩主が滞在した磯御殿があります。
現在も多くの観光客が訪れています。

『尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)』鹿児島市

薩摩藩第28代当主であった島津斉彬(しまづなりあきら)が11865年に建造した機会工場で、日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物です。
現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などを展示する博物館となっています。

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