概要
熊本県は、九州地方の中央に位置する県で、県庁所在地は熊本市です。
東部には阿蘇カルデラを持つ阿蘇山と九州山地がそびえています。
阿蘇山は日本で二番目に大きいカルデラを持つ活火山です。
西部には熊本平野が広がり、その先には有明海に面します。
八代平野の先にはリアス式海岸があり、不知火海に面します。
宇土半島が突き出し天草諸島に続いています。
面積は7,409.35km2で、県全体が太平洋側気候に属します。
県の地域は、「県北」「県央」「県南」の3つの地域、または「熊本地方」「 阿蘇地方」 「天草・芦北地方」 「球磨地方」の4つの地方に分けられることが多いです。
人口は約179万人を有し、県庁所在地の熊本市は政令指定都市に指定されています。
地下水が豊富で、熊本市の人口約70万人の水道水は、すべて地下水で賄われています。
これは、世界的にも珍しい都市といえるでしょう。
県のシンボルは、花はリンドウ、木はクスノキ、鳥はヒバリ、魚はクルマエビです。
県公認のマスコットキャラクターは「くまもん」です。
くまもんは全国的にも知名度の高いキャラクターで、様々なグッズが全国で発売されています。
黒いクマの男の子で、熊本県の営業部長としあわせ部長に抜擢され、熊本の魅力をPRしています。
県の産業は、農業が中心で、全国でも有数の農業県として知られています。
農業産出額は、毎年全国トップ10にランクインしています。
トマト、葉たばこ、い草、カスミソウ、スイカの生産額は全国一位、栗、那須、しょうが、トルコキキョウは全国二位、メロン、イチゴは全国三位を誇ります。
中でもい草は、全国で生産しているのは熊本だけです。
畜産業でも、生乳、肉牛、馬肉の生産が盛んで、特に阿蘇地域では赤牛、馬の畜産が行われています。
水産業は、有明海や天草地方を中心に、車エビ、海苔、真珠の養殖が行われています。
観光業にも力を入れて、日本三大名城の熊本城、リゾート施設のグリーンランド、阿蘇、テレビで人気のチンパンジー「ぱんくん」がいる阿蘇カドリードミニオン、黒川温泉など、観光スポットが豊富です。
歴史
成り立ち
県域で人々の生活が営まれていたのは、3万年以上前と言われています。
律令国時代は「肥後国」に相応します。
肥後国は、それ以前の時代には「火の国」「肥の国」と呼ばれていました。
火の国(肥の国)の国名の由来は、かつて「火の君」」と呼ばれる勢力ある豪族の名前からと言われています。
律令体制の下で、肥後国は生産力が高く、非常に重要な大国の一つにみなされていました。
鎌倉時代には、阿蘇氏、相良氏、菊池氏の豪族たちが勢力を伸ばします。
南北朝時代には菊池氏が九州の南朝の中心として活躍しています。
その後、豊臣秀吉の九州征伐により佐々成政(さっさなりまさ)が肥後の国主を命じられますが、それに反対する民の一揆が起こり、その責任をとって佐々成政太は切腹を命じられ、一揆に参加した国人たちは弾圧されました。
佐々成政が亡くなった後は、北部は加藤清正(かとうきよまさ)、南部は小西行長(こにしゆきなが)に分け与えます。
ただし球磨郡だけは相良氏の支配を認めていました。
1600年の関ケ原の戦いで小西行長の滅亡の後、南北合わせた領地すべてが加藤清正に任されます。
加藤清正は熊本城を築き、水路や耕地の整備を行い、国の生産性を高めました。
明治時代、1871年の廃藩置県では熊本県と八千県が設置されます。
熊本んはその後白川県と改称され、八千県との合併や再び改称がおこなわれ、1876年に現在の県域としての熊本県が成立しました。
歴史的人物ゆかりの地
『夏目漱石内坪井旧居(なつめそうせきうちつぼいきゅうきょ』熊本市
教師として熊本に赴任した夏目漱石が4年三か月の間に転居を繰り返し、碁盤目に住んだ住居です。
内坪井では、奥さんが長女を出産した時に使った井戸が残されています。
また、和室が残されていて、夏目漱石の資料や原稿が展示されています。
『旧細川刑部邸 (きゅうほそかわぎょうぶてい)』
全国有数の上級武家屋敷です。
肥後藩初代、細川忠利(ほそかわただとし)の弟、刑部少輔興孝(ぎょうぶしょうゆうおきたか)が1676年にお茶室を作ったのが始まりです。
後に下屋敷を増築し、格式を整えました。
明治時代には熊本城に鎮西鎮台により刑部家は城内の武家屋敷から追い出され、この下屋敷を本邸として過ごしました。
史跡/碑
『石の本遺跡(いしのもといせき)』熊本市
熊本市内で旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺物が出土した遺跡です。
旧石器時代の遺物は九州地方最古のものと言われています。
また、遺跡群の中には、縄文時代の住居跡もあります。
『江田船山古墳(えたふなやまこふん)』玉名郡
五世紀から6世紀に築造されたと推測される前方後円墳です。
日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀をはじめ、豊富な遺物が出土しています。
歴史的建造物
『熊本城(くまもとじょう)』 熊本市
1469年から1487年ころに出田秀信(いでたひでのぶ)鹿子木 親員(かのこぎ ちかがず)が築城したお城で、その後、加藤清正が改築したことで有名です。
江戸時代は熊本藩細川家の居城であり、明治時代は西南戦争の戦場にもなりました。
現在残る天守は1960年再築のもので、内部は「熊本市立熊本博物館分館」となっています。
『青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)』人吉市
806年に阿蘇神社の神主、大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を祀ったのがはじまりと言われています。
建築物の5棟が国宝に指定されています。
『松浜軒(しょうひんけん)』八代市
八千城の城主であった松井家の邸宅と庭園です。
1688年に松井家三代の松井直之(まついなおゆき)が母親のために建てた茶屋で、八代城から北西に約300m程離れた場所に位置しています。