長崎県

  • 2016.5.4

概要

長崎県は、九州地方の最西部に位置する県で、県庁所在地は長崎市です。
県域には五島列島、壱岐島、対馬などの離島が971島含まれます。離島の数は全国一位となっています。
面積は4,132.09km2、人口は約137万人を有しています。
県の東は佐賀県と隣接していますが、その他は海に囲まれているため、海岸線の長さは北海道の次に長い距離です。
海岸はリアス式海岸で、複雑な形状をしているため、県域には83か所もの港湾があり、国内の7.4%を閉めています。
県域にある山は、雲仙普賢岳、平成新山などがあり、1990年代に噴火した雲仙・普賢岳の被害は記憶に新しいでしょう。
県域は、対馬海流の流入により、年間を通して温暖な気候です。

県のシンボルは、花はツツジ、木はヒノキとツバキ、鳥はオシドリ、獣は九州シカです。
県の魚は四季ごとにあり、春はタイ、イカ、アマダイ、夏はアジ、イサキ、アワビ、秋はサバ、トビウオ、ヒラメ、冬はブリ、イワシ、フグです。
県公認のマスコットキャラクターは「ながさき龍馬くん」です。
ながさき龍馬くんは、歴史のヒーロー坂本龍馬にちなんだキャラクターで、県のイメージアップと観光促進、誘致促進を担っています。

県域は、長崎地域、県北地域、県央地域、島原地域、五島地域、壱岐地域、対馬地域の7地域に分けられることが多いです。

県の産業は、県庁所在地の長崎市は、歴史を誇る都市で観光スポットが多くあります。
また南部にはハウステンボスがあり、国内外から多くの観光客が訪れています。

農業ではびわ、じゃがいも、シイタケなどが栽培されています。
酪農では壱岐牛、平戸牛などが知られています。
また、島原手延べそうめん、五島うどんは全国的に有名です。
他にも、対馬地域、佐世保地域を中心に真珠が生産されています。
漁業では、とらふぐとカキの養殖が盛んにおこなわれています。

歴史

成り立ち

律令国時代には「備前国」「対馬国」「壱岐国」に属します。
このうち備前国は現在の佐賀県と対馬、壱岐意外の長崎県の領域にあたり、国府は佐賀市にありました。

県内から発掘された遺跡から、3万年以上前から人々の生活が営まれていたことがわかっています。

飛鳥時代には、667年対馬に金田城が築かれます。
奈良、平安時代には、小野小町などの遣隋使や遣唐使が、長崎県の壱岐、対馬、五島を経由して大陸(朝鮮半島、中国)に渡っています。
五島列島は遣唐使南路の出発地でした。
室町時代の1419年には応永の外寇、1507年には五島で玉之浦納の反乱など、争いが起こります。
1550年、平戸にポルトガル船が来航します。それと同時に、フランシスコザビエルが平戸から布教を開始します。
1567年、再びポルトガル船が口之津港に入港し、これをきっかけに口之津港のある有馬地域は九州のキリスト教布教の拠点となっていきます。
1588年、豊臣秀吉が長崎を直轄地とします。
江戸時代の県域には、佐賀藩、島原藩、大村藩、平戸藩、平戸新田藩、福江藩、対馬府中藩の7つの藩の他に佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、長崎の天領に分かれていました。
鎖国時代において、長崎は唯一国際貿易として機能する港で、対馬藩は朝鮮との国交を任される他、貿易も公認されていました。
対馬藩は現在の韓国、釜山市に倭館を置いていました。
1868年、長崎裁判所、長崎府が設置されます。その翌年長崎府が長崎県に改名されます。
1871年の廃藩置県では、長崎県と伊万里県が丹治陽します。
その後併合や分離を繰り返し、1883年におおむね現在の県域の長崎県が成立しました。

歴史的人物ゆかりの地

『グラバー邸』 長崎市

スコットランド人の貿易商であったトーマス・グラバーが1863年に建設した邸宅です。
グラバー邸では、居住地としてだけでなく、ビジネスと文化交流の拠点として使われていたと言われています。
現存する木造建築物では最古の建物です。

『亀山社中(かめやましゃちゅう)』長崎市

1865年、土佐を脱藩した坂本龍馬をはじめとする同志たちが日本発の商社「亀山社中」を結成した場所です。
最初は交易の仲介、物資の運搬、薩摩藩・長州藩の橋渡し役として利益を得ていましたが、次第に難航し、1867年に土佐藩の資金援助を受けることになります。
土佐藩の援助を受けるタイミングで亀山社中から「海援隊(かいえんたい)」に改名しています。
現在は記念館となり、複製の龍馬ゆかりのものなどが展示されています。

史跡/碑

『辞本涯の碑(じほんかいのひ)』五島市

かつて長崎から唐に渡った空海の偉徳を顕彰するために建てられた空海の像と辞本涯の碑です。
辞本涯とは、日本最果ての地を去るという意味があり、高野山清涼院住職の書です。

『泉福寺洞窟(せんぷくじどうくつ)』佐世保市

旧石器時代から弥生時代の岩陰遺跡てす。
岩壁に4つの洞窟が開口しており、断続的に利用された住居跡、泉福寺洞穴があります。
中からは多くの遺跡が出土しています。

歴史的建造物

『軍艦島(ぐんかんじま)』長崎市

正式島名は「端島(はしま)」といい、
明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄えた島です。
一時は5千人以上が住んでいました。
1974年の閉山と共に、島民が島を離れ、現在は無人島です。
2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されています。

『大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)』長崎市

1865年に建立された日本最古のキリスト教の建築物です。
築施工は天草御領島出身の小山秀之進(こやまひでのしん)が大工棟梁として施工したと言われています。

『崇福寺(そうふくじ)』長崎市

1629年、長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑(中国)の人々が、福州から超然を招聘して創建した中国様式の寺院です。
中国様式の寺院としては日本最古のものです。

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